文化元年(1804)〜明治5年(1872)69歳

佐倉商工会議所
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堀田正睦に招かれて佐倉で「順天堂」塾を開き、治療に当たるとともに、西洋医学を教えた
近代医学の先駆者
 酒々井町から佐倉市本町方面にまっすぐに歩いてくると左手に、門構えのりっぱな昔ながらの建物を目にすることができます。これが「順天堂」の跡です。今は、「佐倉順天堂記念館」として、歴史資料を展示し一般に公開されています。この順天堂を開いたのが佐藤泰然です。
 泰然は、文化元年(1804)、武蔵国川崎(今の神奈川県川崎市)で生まれました。泰然は、成人した後西洋医学を志し長崎でオランダの医学を学びました。天保9年(1838)、江戸にもどった泰然は、薬研堀に塾を開き外科専門の治療を行いました。その治療技術は当時としては最新のものであり、泰然の塾にはその技術を学びたいと全国から多くの若者が集まりました。
泰然の塾の評判を聞いた佐倉藩主堀田正睦は、西洋の医学を佐倉にもっと広めたいと考え、泰然を佐倉に招きました。泰然は、正睦の求めに応じ佐倉に町医者を兼ねた塾「順天堂」を開き、全国からの塾生たちに西洋の医学を教えました。泰然の塾からは、佐藤尚中や松本良順を始め多くの人材を世に送り、日本の近代医学の基礎を築きました。
 泰然は、佐倉において当時の最新技術で患者を治療し、その評判は日本全国に広まりました。また、幕末の動乱期の中で、泰然が教えた塾生たちは全国でその力を発揮し、各地方の外科医療の先駆者となっていきました。
 そして、新しい時代を迎えた東京で、養子の佐藤尚中にみ取られて69歳の医学にささげた生涯を閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より