文政8年(1825)〜明治24年(1891)67歳

佐倉商工会議所
佐倉NAVIで読む
幕末の日本において英語力を生かして北海道を調査し、貴重な資料を残した功労者
 日本は江戸時代、鎖国政策をとり続けていましたが、幕末になると太平洋からは、アメリカ、フランス、イギリスが迫り北方からはロシアがその勢力を強めていこうと日本に迫っていました。そんな中で、まだ未開の土地が多かった北海道を探検し、北方の警備に備えようと働いたのが佐波銀次郎なのです。
 銀次郎は、文政8年(1825)、江戸で生まれました。若いころより文武に秀で、剣術は浅山一伝流の免許を授けられるほどの剣豪であり、学問は特に英語に秀でていました。その知識は手塚律蔵に入門した佐倉藩士の中でも群を抜いていました。そして、その英語と西洋学の知識をかわれて安政3年(1856)から2年間にわたって何度も北海道からサハリン(樺太)へと足を運び、未開の地を命をかけて探検しました。その銀次郎の調査記録は、幕府の政治をあずかる佐倉藩主、堀田正睦の貴重な資料となったのです。当時の北海道の状況を想像すると、苦難の連続だったと思います。知識だけでなく、剣術で鍛え上げた体と精神が銀次郎を支えたのでしょう。
 明治になると、神奈川県に勤務しその西洋学を生かして外交事務に関する翻訳の仕事につきました。銀次郎の仕事は、表舞台の華やかなものではなく、終始、地味な裏方の仕事がほとんどでした。しかし、佐倉藩で同じ西洋の学問を学んだ人間が、新しい時代の表と裏の舞台の両方で活躍していたことは、とても意義深いものがあります。
銀次郎は、神奈川県を退職すると、ふるさとの佐倉に帰り明治24年(1891)67歳の生涯を静かに閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より