安政6年(1858)〜大正14年(1925)66歳
日本人のための靴を製造する会社をおこし、明治天皇の靴を造った実業家
 大塚岩次郎は、安政6年(1859)3月8日、佐倉藩士大塚隊之丞の次男として佐倉の中尾余に生まれました。岩次郎が育ったころの日本は、江戸時代の終わりで、世の中が激しく移り変わっていく時期でした。そして、それまで続いていた徳川幕府が倒れ、新たに明治政府ができました。
 明治4年(1871)、廃藩となり藩士であった人たちは職を失いました。岩次郎は佐倉相済社に入り、靴造りを学びました。佐倉相済社は、廃藩を見越した佐倉藩の重臣西村茂樹が弟の勝三に話して、士族授産のために製靴の事業を興したものです。ここで製靴の技術を学んだ岩次郎は、独立して製靴業を興そうと上京しました。 岩次郎は、製靴技術にすぐれ、いろいろな改良を行いました。当時の靴は、つま先が薄い甲革1枚だけで形が崩れやすく、歩くと親指の先が圧迫されてしまう造りでした。そこで、丈夫で堅い中底を木型よりも長くし、靴の先端部分を指の上に折り返して、つま先を高くしたのです。この工夫は、西洋においてもほぼ同時期に考案されており、製靴技術上、国際的な発明だったのです。日本では、草履や下駄をはいている人がほとんどだったことを考えると、岩次郎の靴造りに対する情熱がわかります。
 このような努力が報われ、岩次郎は日本人として初めて明治天皇の靴を造り、「宮内庁御用達」の看板を掲げた大塚製靴の創始者となりました。そして、大正14年(1925)6月、人々に惜しまれながら66歳の生涯を閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より