天保7年(1836)〜明治40年(1907)72歳

佐倉商工会議所
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日本で初めて靴の製造に取り組み、近代産業の発展に力を尽くした事業家
 毎年3月15日は、「靴の記念日」として、靴の製造にたずさわっている人達には大切な日となっています。このわたしたちの生活に欠かせない靴の製造を日本で始めたのが西村勝三でした。
 勝三は、天保7年(1836)江戸で生まれました。西村茂樹は、勝三の一番上の兄です。勝三も兄茂樹同様、すぐれた才能を発揮し学問に励み、佐久間象山に西洋砲術を学びました。そして、安政2年(1855)には、佐野藩の砲術の先生として藩士の指導に当たりました。勝三、20歳の時のことでした。その後勝三は、藩や日本のため役に立ちたいと考え、藩を脱藩し武士を捨て商人になる決心をしました。西洋の進んだ文明を知った勝三は、鉄砲を初めとして、銅鉄、雑貨、洋銀、牛、ガス、洋服、油、羊、漁業など、あらゆる事業を手がけ、事業を興して国の役に立ちたいという信念を貫いたのです。明治に入り、洋式の軍隊が整備されてくると、日本人にあった靴が必要になりました。当時の兵部大輔大村益次郎の要請を受け、勝三は明治3年(1870)「伊勢勝造靴場」の看板を掲げ洋式の靴の製造にあたったのです。また、兄茂樹からの依頼で佐倉に靴工場「相済社」を作り、士族授産に大変役立ちました。
 勝三は、靴の製造の他にも若いころに学んだ知識を生かし煉瓦の製造にもあたりました。勝三は、日本の近代産業を興すために必死になって事業を進め、日本のためにその基礎を築いていきました。そして、近代産業の興隆を見届けたように72歳の生涯を閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より