天保3年(1832)〜明治40年(1907)76歳

佐倉商工会議所
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将軍家茂の最後の脈をとり、その後初代軍医総監となり、日本で海水浴を始めた医学の先覚者
 夏になると海水浴に行くことがあると思いますが、「病気の治療のために海水浴がよい」という考え方を日本に広めた人物が松本順なのです。
 順は、佐藤泰然の次男として生まれましたが、17歳の時、幕府の御典医松本良甫の養子となりました。26歳の時には、幕府から長崎に派遣され医学伝習所でオランダの医師ポンペから直接指導を受けました。文久3年(1863)、32歳の時、幕府から江戸に呼びもどされた順は、医学所頭取を命じられ幕府の医学研究の中心になりました。しかし、幕府はすでにその長い歴史に幕を降ろそうとしており、順が仕えた14代将軍徳川家茂も第二次長州征伐の最中、大坂城で亡くなりました。明治元年(1868)、戊辰戦争が起こると、順は幕府方の会津藩を応援して会津での戦いの戦傷病者の治療にあたりました。幕府軍の敗戦後、新政府軍に捕らえられましたが、明治政府よりその能力を高く評価された順は、明治4年(1871)、政府の軍医頭となりました。
 その後、明治6年(1873)には、陸軍軍医総監となり日本の軍医学の発展に大きく貢献しました。最初に述べた「海水浴場」を神奈川県の大磯に開いたのは明治18年(1885)のことです。職を退いた後も貴族院議員を歴任し、明治38年(1905)には、今までの数々の功績により男爵、従三位勲一等端宝章を授けられました。順は、大変物事にこだわらない大きな人物で、幕末には、剣客で高名な新撰組局長近藤勇とも親交を結ぶなどその人生は波乱に富んだ豪快そのものでした。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より