弘化2年(1845)〜明治44年(1911)66歳
書道の教科書を出版し、書道教育を全国に広めた書家
 香川松石は、学校で勉強する書道の教科書や指導方法を研究し、全国に書道の授業を広めました。
 松石は、本名を熊蔵といいます。佐倉で生まれ、当時佐倉藩の領地であった千葉の登戸で幼年期を過ごしました。
13歳のとき、江戸に上り2年ほど漢字と書道を学びました。その後、登戸にもどった松石は、問屋の帳簿付けや寺子屋の先生などをして暮らしていました。
明治五年(1872)、松石は流山にあった印旛県鴻台小学校で学校の先生になる勉強をし、明治7年(1874)から登戸小学校の代用教員になり、後、校長になっています。松石は、はじめ中国の唐という時代の書を学びますが、明治13年(1880)から日下部鳴鶴という人に入門し、唐よりもっと古い北魏という時代の書も習得しました。
 明治14年(1881)、千葉県師範学校の習字科の教師として勤め、明治15年にはじめて小学校の書道の教科書である『楷書千字文』を刊行し、明治41年(1908)までの約25年の間に800冊以上の書道の教科書を出版しました。そして、それらの教科書は、全国に広まり書道の授業で使用され、学校で書道を教えることが定着しました。
 松石は、このように学校での書道教育の普及に大きな功績を残し、66歳の生涯を閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より