明治2年(1869)〜大正13年(1924)55歳
新勝寺の貫首として地域の文化・教育事業をおこした高僧
 成田市に、成田山新勝寺という真言宗の寺があり、人々から「なりたさん」と親しまれ、信仰されています。
 明治時代、新勝寺の貫首である石川照勤上人は、地域の文化・教育事業を興しました。今日、成田山の五大事業といわれるもので、成田中学校(今の成田高等学校)、成田山女学校(後の成田高等女学校)、成田図書館(今の成田山仏教図書館)、成田幼稚園、成田山感化院(今の成田学園)をつくったのです。また、成田山公園も造り始めています。照勤上人は、明治2年(1869)10月10日、印旛郡坂戸村(今の佐倉市坂戸)に中村又十郎の次男として生まれました。幼名を兵蔵といいました。やがて、埼玉県川越にある本行院(川越市)住職石川照温の養子となり、石川姓を名乗ります。照勤上人にとって最初の修業は、印旛郡直弥村(今の佐倉市直弥)にある宝金剛寺でした。ここで約半年間修行した後、京都で学び僧侶としての就学課程を修了しました。明治27年(1894)1月31日、照勤上人が24歳のとき、照鳳上人の後を継いで、成田山中興第15世となりました。明治31年(1898)3月、照勤上人は、欧米に留学しました。留学に先立って、上人は集まった塾生に「世界に向け、志を大きく持つように」と話しました。明治33年(1900)に帰国した照勤上人は、成田山の興隆と地域の文化・教育事業に着手し生涯にわたって心血を注ぎました。
 照勤上人は、事業の発展を見届け大正13年(1924)1月30日に55歳の生涯を終えました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より