天正元年(1573)〜正保元年(1644)72歳

佐倉商工会議所
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徳川幕府初期三代の将軍に重臣として仕え、江戸時代260年の基礎を築いた佐倉藩主
 佐倉は、城下町として知られていますが、そのシンボルであった佐倉城を築いたのが土井利勝です。利勝は、徳川家康と同じ三河の国(今の愛知県)に武士の子として生まれました。元々徳川家の親戚筋であったためか、7歳のころより取り立てられ、徳川家の譜代として力をふるい関ヶ原の戦いでは、家康の次男秀忠のそばにいて手柄を立てました。その功績により、小見川(千葉県)に一万石をもらい大名となりました。やがて、秀忠が家康の跡を継ぎ二代将軍の座に着くと、利勝は幕府の政治の中心をになう老中となり、佐倉に三万二千石を与えられました。
 元和元年(1615)、大坂夏の陣で豊臣氏が完全に滅びると、利勝は、三代将軍家光を助けて参勤交代の制度や武家諸法度などの幕府の規則を定めるとともに寛永通宝などの通貨を定め、徳川家15代260年に及ぶ徳川幕府の基礎を固めました。
 利勝が佐倉に城を築きはじめたのは、慶長16年(1611)のことです。今の佐倉中学校の正門あたりに大手門と言われる表門を置き、本丸には、天守閣、角櫓、銅櫓などを置くりっぱなものでした。この佐倉城が完成したのは、元和3年(1617)のことです。工事には、約6年の年月がかかりました。佐倉城の整備にともない、利勝は城下町の整備も行いました。
 徳川幕府の基礎づくりに心血を注いだ利勝は、寛永15年(1638)、大老に任じられ、その後も将軍を補佐し続け、歴史に大きな足跡を残して72歳の波乱に富んだ生涯を閉じました。
佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典T より