「万葉集」の巻16に、新田部親王にその愛人が献じたという歌で、
   勝間田の池はわれ知るはちすなし
      しかいう君がひげなさがこと とある。
 つまり親王が勝間田の池の蓮の美しさを、その女性に話したところ、女は、
 「うそおっしゃい。勝間田の池は水も蓮もございません。ちょうどあなたにひげがないみたいです」
と歌ったものだというが、この勝間田の池が下勝田にある。ここには二股の葦が生い茂るというのである。
 そのわけは、西行法師がこの地に行脚し、ちょうどお昼にしようとしたが、箸がなかったので近くにいた百姓に、
 「箸を一膳貸してください」
と頼んだが、その百姓は、
 「お貸しする箸はありません。あなたの後の枝でも折っておあがりなさい。それがいやなら親からもらった五本箸で」
というので、西行は、いたしかたなく、その葦を折って箸とした。そして食べ終わったときに、そのお礼として、
   水なしときいてふりにし勝間田の
      池あらたまる五月雨のころ
と一首をよみ、葦の箸をそこにさして立ち去ったが、やがてその箸から根が出、立派な二股の葦になった。この時西行が、
 「この池にわがさしたるこの葦のほかに葦の生ふることをゆるさじ」
といったためであろうか。三尺(約1メートル)の土手を隔てた田の中には普通の葦がたくさん生い茂るが、この池にはないのである。
   西行の歌碑は、
      池もふり堤崩れて水もなし
         むべ勝間田に鳥のゐざらん
という「千載集」の歌と共に、今この池の傍らに残っている。
 お箸の成長する話もずい分多い。上総の方では、頼朝の使った箸が成長したというのが三つも四つもあるのだが、印旛郡富里村の新橋には、頼朝の御家人の箸が成長している。すなわち千葉介常胤が葦原の池のはとりを通った時、昼の食事をするのにその葦をとって箸に使い、あとでそれを地面にさしていったが、やがて根を生じ、だんだん茂った。しかし、もとが箸だったから、今でも必ず二本ずつ並んで生えるのだと伝えている。
 「勝間田の池の西行の箸」と全く同類である。
担当 菅 勇二