米戸(コメド)には、ある人が他所へ参詣の帰り途、石がワラジにくっついて来て、とってもとってもついて来るので、持ち帰って祀ったという道陸神(ドウロクジン)がある。
 太田の権現様の御神体は熊野石だという。昔、この村の百姓であった宮間某が、紀州熊野に参詣した帰り道、桃の種に似た青い小石がワラジの間にはさまって、とってもとってもくっついてくる。
 「面倒な」
と思って袋に入れ、腰にぶらさげたが、途中日一日と成長し、その形も実に奇抜で、あまりの珍しさに家へ持ち帰り、
 「不思議なこともあるものだ。熊野さまが一緒についてみえたのだろう」
と庭に祀ったところ、石はますます育って、長さが三尺(約90センチ)、周囲が一尺四寸位(約42センチ)にもなり、まるで傘をつぼめたように見えたというのである。今もなお、子供のない人がここにお参りすれば、子供ができると信じられている。
 船橋市二宮には巾着石を氏神に祭った家があった。これはその家の主人が、昔、伊勢参りの途、大和をめぐって、途中で手に入れた小石だというが、これも成長したのである。
 成長する石の伝説は、日本国中どこにも伝えられているが、それらは皆、はじめからそこにあったただの石ではなく、たいていは遠くから人がはこんで来たものであるのは、おもしろい共通点である。
 このような石は死物ではなく、成長するものと信じられるのは、石が単に神の御座所として神聖祝されるばかりではなく、石そのものが神威神力を持っていると考えられていたからであろう。
 いずれにしろ、石に対するこの信仰は、最も古くから伝えられた民間信仰であり、また日本のみではなく、世界的なものであろうかと思えるのである。すなわち、南洋諸島における未開民族の間にいまなおあるマナイズムはこれではあるまいか。
担当 菅 勇二