臼井城址から東南へ約100メートル行ったところの、田の中に、小さな石の祠がある。土地の人は呼んでこれを「おたつ様」という。
 昔、臼井の城主祐胤(スケタネ)がなくなり、その子竹若丸がまだ幼かったので、叔父の志津二郎胤氏がこれを後見していた。しかし、やがて胤氏は竹若丸を殺害し、自ら臼井城主になろうと謀った。早くもこれを知った奥女中おたつは、その急を岩戸五郎胤安に告げた。五郎胤安は若君を、鎌倉建長寺に移し、その難をのがれさせたが、これを知った志津二郎胤氏大いに怒り、おたつを殺そうとした。おたつはひそかに城を逃れ、印鹿沼のほとり、葦原の中に隠れた。胤氏は後を追いかけ、探し求めたが、その時おたつは誤って咳をし、そのためについに捕われてきり殺されたのである。
 村人たちはこれをあわれみ、そこに小さな祠を建てて、その霊を祀った。咳がうらみの種であるから、死んだ後までも咳をする子供を見ると、なおしてやらずにおれないのであろう。麦こがしにお茶をそえて供えると、咳がなおるというのである。こがしは、食べるとよく咳の出るものであるし、こがしにむせた時にお茶をのむと、それで咳がしずまるから、お茶をそえて供えるのであろう。これに祈念すれば必ずなおるというのである。
担当 菅 勇二