文化九年(1812)というから、およそ170年ほど前。寺崎に無宿の浮浪者で孝七というものがいた。こそどろのようなよからぬことばかりするので、村人一同は孝七を憎み、困りはてていた。そして遂にあるとき、名主らが相談の結果、孝七を殺すことになり、村中総出で探したところ、城の九頭龍権現の境内にかくれて昼寝をしているのを発見した。皆でおしかけ、万能で突きさし、引きずり廻し、六崎原(ロクサキハラ)を通って、一本松清水で末期の水を与え、升の内の馬棄場に埋葬した。
 ところがその年、寺崎に疫痢が流行し、寺崎小町ともいうべき美しい名主の娘をはじめ、ぞくぞく死亡し、村人は死にたえるかと思われた。
 ちょうどその時、一人の見知らぬ人が来ていうには、 「こんな病気が流行するのは、孝七を殺したたたりである。悪い人が罪のために殺されるのは、決して障るものではないが人と生まれたものを馬棄場に埋めたとは、まことに不都合である。さっそく所をきよめてお祭りしなさい」とのことであった。
 そこで、六所(ロクショ)権現の境内に「あざみ権現」としてお祭りしたのである。
 すると不思議にも、村中死にたえるかと思われた疫痢患者も一人残らず、たちまちにしてなおってしまったのである。まことに奇跡的である。
 以来、毎年三月五日を縁起ときめ、社(ヤシロ)の前にこもってお祈りしてきたため遂に、寺崎には疫痢の伝染することはなかったという。
 実に「あざみ権現」は天下の名医である。
担当 菅 勇二