「古今佐倉真佐子」という書物には、こんなことが書かれている。
 田町御門番所の近くに、山下平兵衛という武家屋敷があり、その脇に池があって、鮒がたくさんすんでいた。流れがないので、水はあんまりよくはなかったが、毎春三月末には、この池で蛙合戦があった。
 数千匹のひき蛙が集まり、左右に分かれて昼夜七日ほどの間互いに入れ違いに出て、くい合い、傷を負ったものは友の蛙が背負って入るのである。そのため、水は全く泥水になってしまう。これらの蛙は六、七里の遠くから集まるので、この間中は付近にはひき蛙はいっさいいなくなるが、蛙合戦がすむと、またもどってくると百姓たちがはなしていた。
 全く珍しいことだから、見物人はたえることなく、人が見ていてもかまわず、土くれを投げ入れてもいっさいかまわずつづけられるので、名高かったというのである。
担当 菅 勇二