城から太田へ通ずる「別っされ」という細道がある。この道を山中へ入ってゆくと小さな祠がある。すなわち狐の神を祭ったものだという。女が行けば男、男が行けば女の姿となり、その前に現れる。人々はあまりの美しさについひかれ、その後をついてゆく。するとだんだん山深く入り、あるいは田の中へおとされ、あるいは山中におき去られ、2日2晩、さまよい歩いてついに疲れ果て、ようやく家に帰りつくという。こんなことが毎晩おこっていたので、村人たちはここに狐神をまつり、日中の行きがけに拝んでおく。拝まないと狐が出るといって、皆拝んだという。
 このような狐が人をだまし、意地悪でずるい小悪党としての伝説は各地にあるようだ。上勝田八坂神社裏の山林は、狐のすみかとされ、ここを通りかかった魚屋は、女化狐の後について道に迷い、ようやく我が家に帰ったが、その日の売上げは全て木の葉に変わっていたとか、また、瓜坪新田の某氏は、同様に迷ったあげく、重箱の煎餅が空になっていたとか、枚挙にいとまがない。
 そして最も滑稽なのは、飯田の赤褌(アカフンドシ)狐であろう。赤い褌をした狐が常に道行く人に、相撲をしようと、からかったといわれているが、野狐台の狐はさらに名高い。現、佐倉高のあたりは野狐台ともいわれ、校庭の片隅には稲荷神社跡もあるほどで、明治以後もなお、かなりおそくまで狐がいると恐れられていた所である。
 明治20年ごろの二番町の火事は、お三ギツネの子供をとられてしまったことに対するたたりだといわれるが、しかし野狐台には狐の報恩譚(ホウオンタン)もあるのである。狩人にすんでのことでしとめられる狐が、百姓の三吉の咳に驚いて危うく命拾いをしたが、その恩に感じて、大変美しい女に化け、嫁に来て子供を生んだ。しかし、何のためか遂にその子と別れなければならぬ日が来た時、この親狐は身も心もなく嘆き悲しんだというのである。
 こんな異類求婚譚は、全国的に極めて多く分布しているが、三吉狐のような、動物報恩譚の形式をとる場合が最も多い。そしてこれには立聴き型、鴻の卵型、水乞い型、蛙報恩型の四類型があるが、この三吉ギツネはどうやら、最も笑話に近く、童話としての傾向の強い、蛙報恩型に近いようである。
担当 菅 勇二