文禄二年(1593)酒井家次が城代というから、今からおよそ390年前、臼井城中より失火して円応寺が類焼した。この時、安置される運慶作、阿弥陀仏が、自ら田の中に飛んで来て難をまぬがれたという。この田が長慶谷津の阿弥陀田である。
 また、天辺(アマベ)宝寿院の地蔵尊はこうである。すなわち「地蔵尊縁起」に、
 「その昔、応永の乱(1399)に高崎に兵火あるのよしを、地蔵尊老僧の姿にて、十日以前に三夜まで高声に触回りしかば、人々これを怪しみ、跡をしたいつるに、この寺に帰り給へり。果して兵火ありければ、諸人愛宕の本地仏となりとて信じ奉りき。其の後は、他所より火
防の守札を乞ふ者多かりき」
とあり、三夜にわたって、兵火のあることを前触れして、わたり歩いたというのである。
 これも「流れる仏」と同様、仏威仏力を畏れ、承認しようとするほかのなにものでもあるまい。
担当 菅 勇二