|
|
しだいに話はあやしくなって来たが、なりついでに今少しあやしくなっておこう。 東金市の男蛇ヶ(オンジャガ)池は、今でも1500町歩(1500ヘクタール)の水田をうるおす32町歩(32ヘクタール)の大きな池であるが、この池の周りを七回まわると、池の底にすむ「おろち」の姿が見えると伝えているが、坂戸の龍ケ崎の池にもこんな話がある。この池も水田の用水として用いられるものであるが、うす暗い山間に黒々と水をたたえている。中央よりわずか奥寄りに島があり、その島の中ほどにたて穴があるという。この池の周りを七回半まわると、島の穴から大蛇が出るというので、タイちゃんという故人が七回まで回ったが、恐しくなって やめてしまったという。 下勝田の勝間田の池では、ある百姓が釣り糸をたれていたが、一天にわかにかき曇り、烈風と共に強雨の降りだしたとたん、たちまち水しぶきと共に、腹の赤い大蛇のようなものがおどり出た。あまりのことに腰をぬかした百姓は、池にはまり込んでしまったが、やがてようようにして家に帰りついたという。 池でもこんな不気味なものばかりではない。もっと美しい池もあるのである。 お三階の池等はきっと水の続麗な池だったのであろう。鹿島台の西の方のお堀がこれである。佐倉城は元来、天守閣は四階であったが、城壁が高かったので、この辺からは三階に見えたとか、また池にうつる影が三階であったとかいうのである。こうしてお三階の名は生じたが、この池にも大蛇が住んでいた。そしてこの大蛇が昼寝をしていたのを、ある人が松の枝と間違えて腰かけて休んだところ、大蛇はびっくりして動き出したというし、また、この大蛇は嵐の日には、お三階から沼の中の佐久知へ渡って行くと伝えられている。 そして乳母ケ池にいたっては、話は極めて悲壮なのである。 何代目の城主のころであったろうか。ある日、乳母が若君をお守りしながら、池にやって来た。この池には、岸から少し離れた所に、水草が青く美しくはえている。乳母は、その水草を若君にとってやろうと、片手に抱いたまま、ぐっと他方の手をのばした。水草に手の届いた瞬間、あやまって若君を水中に落としてしまった。幼い若君はおよげるはずがなくそのまま沈んでしまった。乳母は、自分のあやまちを殿様に何とお詫びしたらよいか困り果て、いっそ自分も一緒に死んでと、その場にとび込み、ついに帰らなかった。 以来、この池に「うばこいしいか」と問うと、水底から、ぶくぶくと水泡が湧き上がり、青草のまわりに消えていったという。こうしてだれ言うとなく姥ヶ池と呼ばれるようになったのだが、今は春から夏を盛りに、睡蓮が池一面に美しく咲きほこるのである。 さて、今までにでてきた男蛇ヶ池や龍ヶ崎の池、あるいは勝間田の池等の大蛇は、いわゆる「池の主」で、水神がその姿となって現われたものであり、そういう水神信仰は、かなり古くから、広範囲にわたってなされていたもののようである。水稲栽培を主たる生業とする我が国では、水の便を仰ぐこと厚く、水の神こそ穀物の豊穣をもたらすものとして、信仰をあつめたであろうことは想像にかたくない。 |
|
担当 菅 勇二 |