「利根川図誌」という書物にこんなことが書かれている。
 印旛沼にカワボタルというものがいて、俗に亡者の陰火だという。形は丸く大きさは蹴鞠ぐらいで、光はちょうど螢火の色に似ている。だいたい夏秋の夜にあらわれ、雨の夜は特に多く、水面上30〜60センチの所にいくつも出て浮遊するのである。それが集まったり散った
り、時には高く時には低く、はしる時は矢のように早い。雨が長く降りつづくときは、夜な夜なたくさんあらわれるのである。
 ある年の五月のころ、吉高の義和というものが、「今宵は空もはれて静かだから、慰みに釣にでも行こう」と友人に誘われるままに、さっそく、したくをととのえ、手に手に小舟に乗り、川の真中で棹を立てて、舟を繋ぎ、糸をたれていたが、もう夜半と思われるころ、空がにわかにかき曇り、朦朧としてものさびしく、たちまち大風が起こり雨が降りだし、全く真の闇となり、18メートルほど離れているはずの友人も、すっかり見えなくなってしまった。「これはいかに」とあやしむうちに、かすかに遠い水面から、一つの青い火がひらひらと燃えあがったのである。
 「これが亡者のカワボタルか」と見ていると、だんだん自分の方へ近づいて来る。逃げ帰ろうと思っても、風が強いので、舟は動かすことが出来ない。衣服はぬれる。おののく心を静めて友を呼ぼうとしても声も出ず、とやかくせんと心迷ううちに、遂に、カワボタルはわが舟の舳さきに乗ってしまった。これは一大事と思ってもなすすべはなく、ただ目をとじて一心に念仏を唱えるだけであった。しばらくして雨もやみ、風はやや静まったので、こわごわと目を開いて見ると、既にカワボタルはどこかへ消えうせ、空も少し晴れて友人の舟はやはり
もとの位置にある。この時はじめて声を出し「今のカワボタルを見たか」と問うと「我も見たが、あまりの恐ろしさに物も言えなかった」と言う。
 ようやく人心地が付いて、早々に我が家に帰り、翌朝漁師どもの大勢いる所でこの話をすると「それくらいのことはたびたびのことだ。
我らも一昨年の夜、漁に出たが、カワボタルが舟に乗りこんできた。そのときは大勢だったので、恐しいとも思わず、棹で力任せに打ちたたいたところ、砕け散って舟一面に火の海となり、まるで青くぬりつけたように、しかも例えようもなくなまぐさかった。そしてその質はちょうど油のようにぬるぬるして落ちず、皆でようやく洗いおとしたものだ」という。
 またその中の一人はさらに「四、五年前のことだが、ある夜、投網うちにいったところ、カワボタルがいくつともなく出てきて、舟の近くをふわふわと飛びまわりはじめた。網とりは剛気な男であったから、舟をこぎ回してカワボタルを追いかけまわし、網を小脇にひっかまえて舟の舳さきに立ちあがり、ころあいを見さだめて、ここぞと網を投げかけたところ、案にたがわずカワボタルを一つ打ちかぶせ、生け捕ってしまった。その時もなまぐさいことなまぐさいこと、網の中は一面に青い火となり、ぬるぬるして落ちず、手でもんでようやく洗いおとしたが、その手は二、三日もなまぐさかった。だから、一昨年も皆で舟を洗った時は、我は以前にこりごりしているので、手をつけなかった」といって、大笑いをしたというのである。
担当 菅 勇二