臼井地区 臼井 宗徳寺
志津地区 井野 加賀清水

 清水についての伝説はまだある。臼井宗徳寺の権現水もそうだし、志津の加賀清水もそうである。
権現水は、徳川家康が下総で狩をしたとき、宗徳寺に立ち寄り、寺の由緒を尋ねられたが、住持の僧が臼井城主原氏とのゆかりを述べれば御意を得て御朱印地10石を賜ったのである。このとき住持の僧は境内にわく清水でもてなしたが、家康は殊のほか喜ばれ、「京師、柳の水に似たり」と、以後はこの地を通るたびに必ず、「日陰寺(宗徳寺が当時大樹うっそうと繁り、昼なお暗かったので、俗に日陰寺と呼ばれていた)の水を」と所望されたので、この清水は、いつか権現水と呼ばれるようになったという。
 そして加賀殿清水は、佐倉の城主大久保加賀守忠朝(1678〜1686)が、江戸参勤の途中、常にこの清水を賞味されたので、その名があるといわれるが、林屋の茶屋はこの清水の近くにあった。成田山への参詣客は必ず立ち寄ったところであり、ここの主人は客に親切であったことと、この清水で茶をのませたことで、客から愛されていた店である。今もなおこの林屋の庭先に、客が建てた高さ二間(約3.6メートル)にも及ぶ成田山へ寄進の石の大燈籠があり、その傍らには七代目団十郎の立てた道標がある。ここに、
  御ひいきの恵も厚きはやしやと
        人にたてられ石の灯籠
とあり、いかに多くの客に愛された茶屋であるかわかるし、さらに、
  天はちち地はかか様の清水かな
とある。母親のかか様と城主の加賀様をかけて「かか様の清水かな」とうたい、さらに、この清水をのめば、子供のない御婦人は懐胎するという意味のことが刻まれていておもしろいのである。
担当 菅 勇二