根郷地区 六崎

 六崎(むつざき)は若宮の坂のすぐ上、葦原に清水の流れ出ているあたりは、俗に「たんたん山」と呼ばれている。なんとおもしろい名前であろうか。 この名「たんたん山」の由来は、こうである。
 むかしむかしこの山の上に、六崎六郎という武士が住んでいた。大変立派なお屋敷の大きな門は、あけたてするたびに「ギーッ」と音をたてる。付近の農民はこの音を合い図に働いた。門の開く音をきくと、朝食を食べて田畑に行き、夕方には、この音で仕事をやめて、夕餉の支度にとりかかるのだそうだ。武士の屋敷のことだから、農民はほとんどいったことなどないが、そこには清水が噴水のように湧き出て、やがて滝のように落ちて田んぼに続いていた。その流れは「たんたん」と流れていたので、だれ言うとなく「たんたん山」と呼ぶようになったという。そのあたりには今もなお、小さな清水が流れている。
 ちなみに六崎六郎は、千葉系図によれば、千葉常胤(ツネタネ)の孫胤朝(タネトモ)、六崎六郎と称してここに住まい、六崎氏の祖となったが、その子は六崎兵衛尉(ヒョウエノジョウ)、孫は六崎兵衛太郎と称したという。 胤朝の叔父日胤(ニチイン)が三井寺におり、律静房(リツジョウボウ)と称しながら以仁王の軍に従い、自ら六人の敵兵を殺し、遂に光明山で戦死したのが治承四年(1180)であるから、六崎氏がここに住んでいたのは、やはり鎌倉初期であろうか。


担当 菅 勇二