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(1) 早川に架かる湯本大橋の上でバスを停めます。隣りに架かるあじさい橋のたもとが「旧街道」のスタート地点で案内板があります。川に沿って歩き始め、急な長い階段を登ります。 道標に従い早雲公園を経て早雲寺へ向かってください。
(2) 早雲寺は北条早雲の命により建立された寺で、小田原城を居城として関東一円を治めた戦国大名、後北条氏五代の墓があります。
(3) 早雲寺の目の前を走る県道732号線に出たら、これを右へ進みます。しばらくこの県道を歩きますので交通事故には注意をして下さい。
(4) 10分ほど歩くと左手に、正眼寺が見えてきます。この寺には、源頼朝の側近を父親の敵として討ち取ったとされる、仇討ち話で有名な、曾我十郎と五郎兄弟の供養地蔵があります。
(5) 曾我堂上バス停を過ぎて200mほどの右側に日本橋より22番目の一里塚跡の碑があります。見落とさないように歩いて下さい。 江戸幕府が慶長9年(1604年)大久保長安に命じ江戸−京都間に1里ごとに旅人の目印として街道の両側に盛土をし、その上に通常、榎(えのき)を植えたのものです。一里塚は、畑宿に23番目が、元箱根の杉並木入口に24番目があります。(1里=36町=3,952m、1町=60間=110m)
(6) 県道の長い上り坂を更に上って行くと、やがて右側に「石畳入り口」の道標が立っています。道標に従って右の道へ。
(7) 箱根旧街道と言えば、なんと言っても山道に敷き詰められた石畳が有名ですが、今回のハイキングで最初に現れる石畳が、この猿沢石畳です。これは、やがて後で何度も歩く事になる石畳の道の予告編とでも言う感じで、全長255mと短めです。
(8) 鎖雲寺の墓地には、正眼寺の曾我兄弟の様な、又また父親の仇討ち話として語られている飯沼勝五郎、初花夫妻の墓が並んで建っています。 夫妻は、それぞれの兄や父親の敵を追って箱根の山に入ります。しかし勝五郎は病に倒れて歩けなくなってしまい、初花は必死の看病と願掛けをします。その甲斐あり勝五郎は元気を取り戻し、見事に仇を討つというお話です。
(9) この辺りは道路が狭く、停車しづらいので、バスは須雲川バス停で停めます。降りて鎖雲寺の少し先まで歩くと左へ分かれる道があり、「須雲川自然探勝歩道」と記された道標が立っています。気持ちの良い林間コースが始まります。
(10) 自然探勝歩道をしばらく歩くと、須雲川に架かる丸太の橋が現れます。橋を渡り、東京電力畑宿発電所を横目に見ながら、一旦県道に出ます。 丸太橋が苦手な方はすぐ上流に吊橋(一度に3人しか渡れません)があり、どちらを選択されても結構です。すぐに同じ道に合流します。 Aコースの人は、冷たい水で汗をぬぐって、しばらく休憩しましょう。
(11) 県道を横切り、割石坂を上って行きます。案内板によると、昔この辺りで、曾我兄弟の弟五郎が刀の試し切りをし、巨石を真っ二つに割ったところから、この坂の名が付いたとのことです。
(12) 割石坂を上って行くと間もなく、山の中の道は石畳となり、傍らの案内板には「これより江戸の石畳」と記されています。この道を少し歩き、一度県道に出た後「箱根旧街道」への道標に従い、すぐにまた県道から左の道へ逸れます。そして、小さな橋を渡った先が石畳の坂、大澤坂です。
(13) 江戸幕府がこの街道を整備して石畳にする以前は、雨や雪などが降ると大変な悪路になり、旅人は膝まで泥につかりながら、大変苦労して旅を続けたという事です。しかし、舗装された道を当たり前の様に毎日歩いている私たちにとっては、そんな石畳の道さえとても歩き難く感じます。大澤坂を登り切るとやがて「箱根細工」とも言われている寄木細工の店が並ぶ集落、畑宿に入って行きます。寄木細工づくりは江戸時代末、ここ畑宿から始まりました。
(14) ここ、畑宿の本陣は屋号を茗荷屋と呼ばれた旧名主の本屋敷跡で、庭は山間から流れる水を利用して滝を落とし、池にはたくさんの鯉を遊ばせた立派な庭園で、当時街道の旅人たちの評判になりました。ハリスやヒュースケンなど幕末外交の使者たちもこの庭を見て感嘆しています。 下田から籠で上京したハリスは箱根関所で検査を受けることになった。その際、ハリスと関所側は検査をめぐってトラブルが起き、下田の副奉行が中に入ってほとほと困り抜いたと云う。ハリスは「私はアメリカ合衆国の外交官である」と検査を強く拒否したことから副奉行がハリスを馬に乗せて籠だけ検査することで関所側と妥協した。ハリスは怒ったり笑ったりで関所を通った。そして畑宿本陣に着いてから彼が初めて見る日本式庭園の良さに心なごみ機嫌はすこぶる良くなったといいます。
(15) 本陣の先、右手の階段を上がると駒形神社の境内で、隣接して寄木会館があります。1階のトイレをご利用下さい。昼食は神社の境内か寄木会館の駐車場で待機をしているバスの中で食べて下さい。12時から13時まで、寄木細工の実演もお願いをしてあります。40分間ほど見学とお買い物をお楽しみ下さい。
(16) お弁当を食べ、寄木細工を見学したら、後半のスタートです。畑宿のバス停のそばから、旧街道が続きます。ここを入ってすぐのところに23番目の一里塚があります。(P参照)
(17) かつての宿場町畑宿には、江戸から数えて23番目(90.8km)の一里塚がありました。現在、調査復元を終えたものが保存されています。(1里=36町=3,952m、1町=60間=110m) 寄木会館からすぐのところにありますので、Cコースの方も見学してからバスに乗って下さい。A、Bコースの方はここから再スタートします。
(18) しばらく森の中の石畳が続きます。
(19) 畑宿を過ぎて県道に出ると、「七曲り」と呼ばれる峠の急坂になっていて、脇に作られた歩道を登って行きます。ここからが全行程中で一番きつい所です。
(20) 七曲りから左脇道へ、更に登って行く195段の階段があります。ここは橿の木坂と言い、古文書にも「けわしき事、道中一番の難所なり」「橿の木の、さかをこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と、東海道中最大の難所であった事が記されています。
(21) 急な階段を登りきり少し歩くと、右に見晴らし茶屋へ上がる階段があります。 佐倉の飯野観音に匹敵する急な傾斜です。余力のある方は階段を上って見晴らしをお楽しみ下さい。
 Cコースの方は、畑宿から、この階段の上の見晴茶屋まで、バスを利用して下さい。
(22) 「新編相模国風土記稿」には「殊に危険、猿猴といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と、難所らしい坂の名の由来が書かれています。県道の横断歩道がかかっている辺りが、当時の「猿滑坂」でした。 一旦は歩道橋で県道を渡り、猿滑坂の上りはまだ続きます。この辺りは野生の猿が多いそうです。
(23) 追込坂は「新編相模国風土記稿」のふりがな(万葉がな)をみると、フッコミ坂といったのかも知れません。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名です。 この先、追込坂を過ぎると、今日一番楽しみにしていた甘酒茶屋まであと少しです。
(24) この甘酒茶屋の付近は江戸時代、赤穂浪士の一人、神崎与五郎が吉良邸討入りに向う途中ここで馬子にいいがかりをつけられ大事の前であったため、馬子に詫証文を書いたと 甘酒茶屋は、忠臣蔵「甘酒茶屋」のくだりとして講談、戯曲で有名なところです。しかし、この話は残っている証文から神崎与五郎ではなく同じ浪士の一人、大高源吾で、その場所は、三島宿だったといわれています。
 甘酒茶屋は県道に面しており、ここの自家製甘酒(400円)はまさに絶品です。大げさでなく、一般の甘酒とは別物、別格です。是非一度お試し下さい。あべかわ、いそべ巻き、ところ天なども有ります。体調を崩された方は、2時45分に、私達のバスが通りますので、茶屋の前のバス停でお待ち下さい。元箱根まで、10分ほどで行きます。
(25) いよいよ、最後の行程で元箱根まで1.6kmです。街道は茶屋の後ろを通っていますので、駐車場を横切って裏手にまわって下さい。甘酒茶屋から400mのところで県道を横断します。すぐそばに旧街道石畳のバス停があります。
(26) 於玉坂を過ぎ、白水坂、権現坂とひたすら登ります。この辺りは石畳が1kmに亘って続く、旧街道ハイク中一番長い石畳の道です。
(27) この箱根旧街道は昭和35年、国から「史跡」として指定されました。江戸時代の初め、それまで利用されてきた湯坂道の代わりとして利用されるようになったもので有名な「箱根八里」は、この道です。 この道に敷かれている石畳は延宝8年(1680)に江戸幕府が敷設したものですが、其の後、元年(1863)孝明天皇の妹和宮内親王が14代将軍家茂のもとに降嫁される際に全面的に改修されたと云われています。
(28) ひたすら登りだった道もやがて下りに変わり、ホッと一息。一般車道を横切りながら権現坂を下りますが、足も疲れが出るころです。滑らないよう、転ばないように注意をしましょう。 木立の茂みが無ければ眼下に芦ノ湖が広がる絶景のところです。
(29) 急な滑りやすい坂を下りきると杉並木歩道橋に出ます。最後まで、気を抜かないで石畳の坂をお楽しみ下さい。
(30) 杉並木歩道橋の階段を下りて旧街道は終わりです。すぐ右手の小道を下って興福院を通ると元箱根の町並みです。  お疲れさまでした。
(31) 興福院から湖畔の道路に出たら、箱根神社の第一鳥居とは逆方向に歩き、次の信号を右折して、100mほど坂道を登ると右手に無料駐車場の八丁パーキングがあり、そこが集合地点です。
(32) 時間にゆとりのある方は、鳥居をくぐって約400m行くと旧東海道杉並木の入口に第24番目の一里塚があります。 これでAコースの方は2里をあるいて、一里塚を3つ見ることになります。
製作 : 菅(スガ) 勇二