萱崖(かやがけ)は母のむねにも似たるかな高きを忘れただぬくもれり

【吉川英治と佐倉】 1934年(昭和9)年箱根に遊んだときに詠んだ歌である。母いくは1921(大正10)年、英治29歳の時亡くなった。作家吉川英治、本名英次(ひでつぐ)は、1892(明治25)年8月11日現在の横浜市に生まれた。江原台自治会館前(江原台1丁目9の4)に「初代臼井町長山上辨三郎(やまがみべんざぶろう)邸跡」と刻まれた碑が建っています。いくは、佐倉藩士山上辨三郎の3女で国民文学の父といわれる吉川英治の母で、娘時代をこの地で過ごした。明治の娘のゆかしさは失っておられなかったやさしい母でした。いくの墓は、横浜市の蓮光寺にある。  代表作『宮本武蔵』は朝日新聞夕刊に1935(昭和10)年8月23日から連載され完結したのは、1939(昭和14)年7月11日でした。
担当 黒岡美江子