弥生時代中期・古墳時代前期・奈良時代の集落跡で、高崎川南岸の海抜約36mの台地上に位置します。平成6年(1994)に佐倉市教育委員会が、平成8年に(財)印旛郡市文化財センターが発掘調査を実施しています。 平成8年の調査では、奈良時代の竪穴状遺構(タテアナジョウイコウ)から仏面墨書土器(ブツメンボクショドキ)が出土しました。この土器は、土師器(ハジキ)の甕(カメ)の胴部に手慣れた筆使いで仏の顔が描かれたもので、竪穴状遺構の北西角にその他の土師器や須恵器(スエキ)とともに置かれていたようです。墨で人の顔を描いた土器(人面墨書土器)は、他の遺構でも出土していますが、仏の顔を描いた例はここが初めてです。昔の人は仏像を見て、それを甕に写し取ったのでしょう。このことからも当時の人々が神仏に祈りをささげていたことが窺われます。
担当 狩野義昭