醍醐天皇のころ (897〜929) 丹波国の大江山には酒呑童子(シュテンドウジ)と呼ばれる鬼が棲んでいました。度々都に出て来ては人をさらい物を盗むなど都を荒らし廻っていました。貴人の姫たちも、さらわれたので、時の天皇、醍醐天皇は、源頼光(ミナモト ヨリミツ)と、藤原保昌(フジワラ ヤスマサ)に鬼退治を命じました。
 柱や本殿三面に彫りこまれた、彫刻は上野(コウズケ)の国、勢田郡花輪(群馬県)、の彫刻師、星野理三郎政一の手によるもので、彫り物の主題は、大江山の酒呑童子(シュテンドウジ)の鬼退治の物語りだそうです。


 鬼退治の命を受けた、源頼光は、輩下の四天王と言われた、渡辺の(ツナ)、坂田の金時(キントキ)、薄井貞光(ウスイ サダミツ)、卜部季武(ウラベ スエタケ) を加え、6名で大江山に入ります。すると岩窟に三人の翁 (岩清水八幡、住吉明神、熊野神社の神様の化身) がおり、翁たちは一行に鬼のことを教え、鬼の神通力を失わせる酒 (神便鬼毒酒) と 兜 (星兜) を与えます (彫刻を参照)。老翁達は一行を川に沿って山中上流まで案内します。



 そこには都の花園中納言の上葛(ジョウロウ)姫が、鬼の血で染まった着物を川で洗っていました (彫刻を参照)。一行はこの上葛姫の案内で、鬼の棲む岩戸に向かいます。岩戸では鬼たちが酒宴を開き、大騒ぎをしていました。一行は鬼の酒宴に招き入れられ、此の酒席で、翁から授かった酒(神便鬼毒酒)を鬼たちに振る舞います。鬼たちは酔いが進むにつれ、神通力を失い弱くなって退治されてしまいます。(ここは神社ですので、鬼退治の場面は彫られていません)



鬼退治を終えて都に帰る姿が表現されています。

 此の彫刻は、鬼退治物語の内、神のご加護を表す場面を彫ったものと言われています。自分勝手な解釈ですが、子供の頃に読んだ、モモ太郎の鬼退治伝説がここから出たのかも知れません。 このように本殿両脇に彫られた彫刻も何ゆえ此処に鳥が、川が、煙が...と見方を変えると新しい発見があるものと思います。 
                                  高井 司
 この資料は、2005年2月13日(158回) の例会において、鷲神社で説明をされた高井 司 さん(市民カレッジ第11期生)に、原稿をお借りして作成しました。
担当 菅 勇二