臼井城は、千葉氏の一族臼井氏、原氏の居城であった。当初の築城年代は明確ではないが、12世紀前半といわれている。その規模は、東西約1km、南北約2kmといわれる平山城であった。臼井氏、原氏の時代から幾多の戦乱があった。文明11年(1479)太田図書・千葉自胤との臼井城の攻防、永禄4年(1561)安房里見氏との臼井・小弓の戦、永禄9年(1566)上杉謙信の臼井城攻め、そして天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻めの時、小田原城北条氏に組して敗れ臼井城も落城した。天正19年徳川家康の家臣酒井家次の3万石の居城となったが、文禄2年(1593)城内から出火で焼失した。慶長9年(1604)家次が上州高崎へ転封の後、廃城となり、再び使用されることはなかった。
担当 狩野義昭