興胤が宇佐から持ち帰って植えたと伝えられている大楠。今は枯死し、ご神木として保存されている。
                           
 八幡台二丁目にある八幡社は、暦応元年(1338)に臼井興胤(オキタネ)によって創建されたと伝えられています。祭神は誉田(ホンダ)別命(ワケノミコト)(応神天皇)でず。その縁起によれば、臼井興胤が足利尊氏にしたがって九州を転戦し、延元元年(1336)に筑前国多々羅浜(福岡県)で菊池武時と戦う前に、宇佐八幡に祈念したところ、合戦に大勝したことから、自分の領地である臼井に宇佐八幡を勧請し祭ったといわれます。また、境内の天満宮も同じ時に太宰府天満宮から勧請したものと伝えられています。時代が降って江戸時代になると、臼井の領主であった旗本川口氏が、この神社を崇敬し、様々な寄進をしました。 江戸時代の臼井八幡社の境内には、大きな楠がありました。この楠は、臼井興胤が九州の宇佐八幡から持ち帰って植えられたと伝えられ、成田街道の名物の一つでした。しかし、現在では枯死し4mほど残された木が、御神木として保存されています。
担当 松田和子