佐倉保健所跡地から東へ向かい、県道の下をくぐる道はかって根郷方面への本道でした。急な下り坂を途中で直角に曲がる為、大八車での事故が多発し事故防止の為のコンクリート柱が、昭和に入って設置され、現在もその名残が残っている。この付近に漆が自生していたので呼び名となった。鉄道開通後は連隊への物資が、この坂を経て運ばれた。
                                              担当 松田和子