旧但馬家住宅は、19世紀前半の建築で、河内十郎左衛門屋敷地ののち、天保(テンポウ)年間(1830〜44)以降は100石取の井口郡内がこの屋敷に居住していたことが記録に見えます。郡内が万延(マンエン)元年(1860)1月に死去すると、この養子井口宋兵衛(浅井忠の叔父)が郡内の跡式100石を継ぎましたが、この屋敷に引き続き居住したものか不明です。明治5年(1872)の時点では旧禄高20人扶持の岡田陽助屋敷(佐倉城外45番屋敷)でしたが、明治8年に旧佐倉藩士の但馬氏がこの屋敷を購入しました。 平成3年には佐倉市が復原整備し、この時に失われていた南側の土間部分を往時の状態に戻しています。この住宅は、T字状の草葺寄棟造であり、東側の居間を挟んだ南北に突き出した部分に、納戸と茶の間および土間があります。この部分が家族居住用空間であり、西側の接客部分と分けられています。 また、旧所在地と同一地点に復原されていますので、建造物のみではなく、屋敷地の形状や植栽にも武家屋敷の特徴が良く残されています。表の道路に接する部分は客向きの庭となっていて、やや広い空間が残されており、屋敷の裏手には茶樹が周りにある菜園となっており、その周辺には柿・柚子等の果樹が植えられています。
担当 下里雅弘