昭和53年6月29日当時開港まもない成田空港への航空燃料を輸送中の貨物の安全確保のため、夜間、ヘリコプターで鉄道沿線の警備中に悲運にも事故に遭遇し、高岡の丘陵に激突4名の搭乗員が殉職された供養の碑である。今日、繁栄している成田国際空港の礎のひとつといえる。
担当 下里雅弘