千手観音を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。天平年間(729〜49)に臼井石神(稲荷台4丁目)に創建されて蓮華王院金剛般若寺と号し、のち明徳3年(1392)僧澄秀が兵乱に遭うことを恐れ、大壇那の小竹五郎高胤に願って当地に移転し、千手院と改称したと伝えられます。醍醐三宝院、のち長谷寺の末寺でした。幕府から寺領30万石を与えられ、佐倉市の正覚寺(先崎)・晋門院(羽鳥)・専栄寺(生谷)大聖院(鏑木町)他八千代・習志野・四街道当に18寺を末寺とし、佐倉市の西福寺(小竹)正福寺(青菅)等の13寺院を門徒としていました。
担当 狩野義昭