公立米戸小学校は明治7年(1874)4月に米戸勢至堂(コメドセイシドウ)(私塾)を仮校舎として開校されました。この公立米戸小学校で使用された2枚の版木が現在も残っています。1点は卒業証書、もう1点は学業成績表の版木で、いずれも桜の木で作られています。この版木の存在は、明治5年(1872)の学制施行直後の佐倉市の教育史を考えるうえで貴重です。 その後、公立米戸小学校は明治20年(1887)に廃校になりますが、和田地区における教育活動に先駆的役割を果たしました。 和田地区の小学校は、明治41年(1980)4月に和田尋常小学校として統合されるまで、下勝田尋常小学校、上勝田尋常小学校、寒風尋常小学校の3校が存在していました。(「佐倉細見」より) |