鍋山町の県立佐倉高等学校記念館は、旧佐倉藩主堀田正倫(マサトモ)の寄付により明治43年(1910)に建築され、当初は本館として使用されていました。塔やドーム屋根をもつ明治期の木造洋風建築物として貴重です。建物の規模は、間口34間、奥行5間で、建坪は222坪です。 県立佐倉高等学校は、寛政4年(1792)に佐倉藩主堀田正順(ホッタマサアリ)が開設した藩校佐倉学問所の流れを汲みます。佐倉学問所は文化2年(1805)に温故堂と改称され、天保7年(1836)には成徳書院に拡充改組されました。明治4年(1871)になると印旛県立学校となり、明治6年には私立中学の鹿山精舎として開校し、明治21年に佐倉集成学校として開校、明治32年から県立に移管されています。以後、千葉県佐倉中学校、県立佐倉中学校と校名が変更され、明治43年に宮小路町から鍋山町に移転新築となり、県立佐倉高等学校、県立佐倉第一高等学校、県立佐倉高等学校と校名が変更されて現在に至っています。 昭和50年(1975)に改修工事が行われ、現在は主として学校の管理棟として使用されています。
担当 下里雅弘