臼井城跡から東南へ500mほど行ったところに、江戸時代の延享4年(1747)に造立された石祠があります。これを地元では、「おたつ様」と呼んでいます。 昔臼井城主であった臼井祐胤(スケタネ)の死後、後見人の叔父志津胤氏(タネウジ)によって、幼少の竹若丸の殺害が企てられた時、乳母阿多津が竹若丸を助けて鎌倉に逃しました。しかし、阿多津自身は、胤氏の配下の者に追われ、印旛沼のほとりの葦原に一時隠れましたが、咳をしたために捕らわれて殺害されてしまいました。村人はこれを哀れみ、祠を建立し阿多津を祀ったといいます。ここに麦こがしとお茶を供えてお願いをすれば、咳が治るといわれました。このことから、阿多津の祠はやがて咳神と呼ばれるようになり、今もその信仰が伝えられています。 このような咳の神様は各地にあり、「しゃびき婆さん」「ちゃぼこ婆さん」などと呼ばれ、市内大蛇町の「粟切り婆さん」も阿多津の伝説に類したものです。
担当 柴田嘉代子