臼井城址の南側坂道を上って行くと分かれ道の突き当たりに墓がある

 上杉氏の重臣、太田道灌の弟で文明十一年(1479)臼井城を攻めた際に討ち死にした。ここがその墓だといわれている。

 太田図書助資忠は、関東管領扇谷上杉氏の家臣太田道灌の甥です。太田道灌は千葉孝胤を討とうと、国府代(市川市)に出陣し、千葉氏は道灌と戦ったが、敗れて支城の臼井城に逃げかえった。翌年(1479)道灌は甥の太田図書等に臼井城を攻めさせ、城は陥れたが、図書は部下50名とともに討死したと伝えられている。「此処がその場所?」
担当 松田和子