JR佐倉駅の南西に、かって工業団地から佐倉駅方面へ伸びる台地があり、その平坦部に六崎大崎台遺跡は広がっていました。現在の大崎台3丁目の住宅団地周辺にあたります。佐倉駅南土地区画整理に伴い昭和54年(1979)から発掘調査が実施され、縄文時代早期の炉穴(ロケツ)26基、弥生時代の方形周溝墓(ホウケイシュウコウボ)18基、古墳時代前期の方形周溝墓6基、縄文時代から奈良平安時代の竪穴住居跡(タテアナジュウキョアト)595軒、奈良平安時代の掘立柱建物跡(ホッタテバシラタテモノアト)72棟などが発見され、縄文時代から平安時代の間に人々の生活が断続的に営まれていたようです。 弥生時代中期には、竪穴住居群を取り囲むように溝が掘られた濠集落が形成されていました。環濠は直径約140mの不整円形を呈し、その内外には同時期の竪穴住居跡156軒と方形周溝墓7軒が検出されました。環濠はそとからの侵入に備えて掘られたものであり、その当時集落間の争いがあったことを物語っています。
担当 狩野義昭