昭和41年(1966)印旛村瀬戸の山田橋の近くの印旛水路工事で、ブルドーザーによる掘削工事中にナウマン象の化石が発見されました。それ以前の昭和11年(1936)に佐倉市飯野字北の脇の崖下からナウマン象の右下第3臼歯1点、門歯1点の化石が出土していましたが、昭和41年に印旛水路で発見された頭、胸、足の骨などの化石は、当時の日本では、これが初めての貴重な資料でした。そのため発掘調査が本格的に行われ、約3万7000年前に生息していたものと推定されています。ナウマン象は約30万年前から約3万年前までの間、日本や東アジアに生息しており、最終氷河期にあって日本列島が大陸と地続きであったころ、大陸から渡来してきたものと考えられています。復元されたナウマン象は体高2.17m、体長3.4mで現在のアフリカ象に似ています。この化石のあった地層は、以前そこが沼地であり、象が水辺で沼に落ち込んで死んだものと思われ、台地の崖から崩れ落ちた土砂に埋もれてしまったものではないかと考えられています。
担当 壷阪一弘