旧臼井田宿を過ぎて佐倉方面へ向かい、京成電鉄の踏切りを渡ると正面に見えてくる道標が、成田山参詣の人々が利用した道標です。江戸時代に、成田山新勝寺への人々の参詣が盛んになり、旅人の往来もしきりになったことから立てられたのがこの道標で、正面には「西江戸道」、右側面に「南飯重生ケ谷道」、左側面に「東成田道」、裏面に「文化三丙寅(1806)仲秋吉日」と刻まれています。その他の刻まれた銘文から,建立者は江戸品川新宿二丁目の油屋庄次郎ほか13名であることがわかります。このような道標を見る時に当時の旅人の様子に思いを馳せることができます。

担当  山岸 建一