長熊廃寺跡は長熊の五良(ゴリョウ)神社境内地に位置しています。この場所は古くから瓦片が出土することで知られており、昭和26年(1951)に立正大学史学研究室を中心とする調査団により発掘調査されました。その結果、塔を東に、金堂を西に配した法起寺(ホッキジ)式の伽藍(ガラン)配置をもつ寺であり、白鳳期(ハクホウキ)の様式を伝える八葉蓮(ハチヨウレン)弁重圏文縁軒丸瓦(ベンジュウケンモンブチノキマルガワラ)や忍冬唐草文軒平瓦(ニントウカラクサモンノキヒラガワラ)等から奈良時代末の建立と報告されました。 昭和61年(1986)には千葉県文化財センターにより再調査が実施され、従来金堂及び講堂としていた遺構が疑問視され、伽藍配置そのものにも疑義が生じました。成果としては瓦、瓦塔の他に「高岡寺」の銘のある墨書土器が出土しました。当時この寺は高岡寺と呼ばれていたと考えられます。
担当 壷阪一弘