明治27年12月に本所(錦糸町)佐倉間に総武鉄道が開通した時、佐倉を訪れその時詠んだものを佐倉市で昭和60年3月に自筆稿を忠実に句碑を建立した。 
         「常磐木や冬されまさる城の跡」
藁掛けて風防ぐなり冬構
霜枯れの佐倉見上ぐる野道かな
かゆといふ物をすすりて冬籠り
常磐木や冬されまさる城の跡
古沼の境もなしに氷かな
馬に乗る嫁入り見たり年の暮
明治の時代思潮を体現し、俳句・小説・文芸評論・写生画などに活躍した 正岡子規(1867-1902)は、1894年(明治27年)本所−佐倉間に開通した総武鉄道に初乗りして佐倉の地を訪れている。
 その時の模様は当時の新聞「日本」(12月30日号)に詳しいが、写生文の創始者として校外写生の真髄をよく伝えている。
 この時すでに子規は病気がちであり、その悲痛も感じられる。
 子規は佐倉ゆかりの人間国宝香取秀真、洋画家の浅井忠とも深いつながりがあり、フランス留学から帰国した浅井忠は近くに住んで互いに敬愛した仲であった
佐倉にはここの他、JR佐倉駅前城南橋付近にも「霜枯れの佐倉見上ぐる野道かな」の句碑がある。
                                                 (佐倉市役所 商工観光課)
担当 菅 勇二