江戸時代の承応(ショウオウ)3年(1654)11月に、時の佐倉城主堀田上野介により造立された鳥居(華表)(カヒョウ)です。高さ3.29mの明神鳥居で、貫の左右先端が柱の外側で欠損しています。 この付近一帯は将門山と呼ばれ、戦国時代以来当地には妙見宮(ミョウケングウ)(奥ノ宮)、将門山大明神(中ノ宮)、日吉山王社(口ノ宮)等がありました。 承応3年、堀田正信の家臣植松雪斉が新規に将門山大明神を建立し、この神社のために正信が鳥居を造立しました。 以来、平将門の霊を祀る新旧の将門大明神が存在することになりましたが、享保(キョウホウ)8年(1723)から延享(エンキョウ)2年(1745)まで佐倉城主にあつた松平乗邑(ノリサト)が享保年間に旧社の中ノ宮を修復すると、植松氏建立の新社は廃社となりました。
担当 白木宏繁