祭神は伊弉諾尊・伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊弉冉尊・伊邪那美命(イザナミノミコト)。昔は熊野大権現と呼ばれていました。本殿は銅板葺き八幡造りで、文化元年(1804)に建て替えられました。本殿の奥に八坂神社、阿夫利神社、金毘羅大権現があります。【伊弉諾尊・伊邪那岐命(イザナギノミコト)】日本神話で、天つ神の命を受け后(キサキ)伊弉冉尊(イザナミノミコト)と共に日本国土を生み、次に海と山の神々を生んだといわれる。
  この絵馬は太田(オオタ)の熊野神社本殿に掲げられているもので、縦77p、横138.5pを測ります。その由来については明らではありませんが黒沼槐山(クロヌマカイザン)(隆三)の手により三枚板の額面いっぱいに墨で力強く巨龍が画きあげられており、二つの書き印にも雅趣があります。 槐山は佐倉藩主堀田正睦に仕え、藩御用絵師として活躍し、安政(アンセイ)3年(1856)に「蝦夷地地理絵師御用」で藩命によりカラフト方面まで出向き,地図の作成にも当たっています。また印旛沼の鯉を描いたことでその名を高め、市内にも鯉の屏風が残っています。なお洋画家の浅井忠は8才の時に槐山に師事したと伝えられています。
担当 菅 勇二