ブルドーザーで削られている工事現場を登ってみました
(馬渡方面を望む)







              
 小篠塚にあるこの城跡は、JR佐倉駅の南方約3.5kmの鹿島川右岸の台地上にあります。台地先端部の西側に、この城において一番広い平坦地があり、ここがこの城の中心部となります。土塁がほぼ全周し、東にある出入り口は侵入する敵を脇から攻撃できるようになっています。この他の部分は、堀や土塁によって3つの区画に分かれています。まず土塁が巡らされている方形の区画が、城の中心部の東側に2つ並んでいます。さらに、この2つの区画の北側に、城の中心部を防御している巨大な土塁の続きによって区画されている平坦地があります。この城跡に関する資料は残されていませんが、平安時代から鎌倉時代の初めには、この地域を印東氏が領していました。14世紀末には、この地を平河氏と宍倉氏がこの周辺を知行しており、戦国時代には古河公方足利成氏が、一時期在城したこともあったようです。

担当 菅 勇二