鏑木町の麻賀多神社は、歴代佐倉藩主の厚い信仰に支えられた佐倉城下の総鎮守であり、現在の本殿は天保(テンポウ)14年(1843)に佐倉藩主堀田正睦(ホッタマサヨシ)により造営されました。 この神社をはじめとして、佐倉市内や印旛郡内に「麻賀多神社」は18社鎮座しており、古来より十八麻賀多と呼ばれます。「延喜式」神名帳にも記載があり、その古い由緒をうかがうことができます。 この麻賀多神社は、明治7年(1874)に印旛郡船穂村(印西市船尾)に生まれ、明治11年に郡司秀綱(麻賀多神社宮司)の養子となった香取秀真(カトリホツマ)が、明治24年(1891)に本郷根津片町(東京都文京区)の美術講習所に入るまでの幼少年期を過ごした地です。
担当 黒岡美江子