佐倉順天堂は、天保14年 (1843) に佐倉藩主堀田正睦(ホッタマサヨシ)当時は正篤(マサヒロ) により佐倉に招かれた蘭方医佐藤泰然が開いた蘭方医学の病院と塾です。当初は、現在地の向かい側にありましたが、安政5年(1858)に現在地に新築されました。往時の順天堂の規模は明治26年(1893)「日本博覧図」によって知ることができます。この図には院長宅や病院棟など多くの建物が確認できます。その内現存する主屋は、明治初年頃と大正10年(1921)に増築、修理が行われています。また主屋の玄関西側部分は、後年切り詰められています。 順天堂には日本各地から塾生が集まり、当時としてはかなり高度な医学を実地に学んでいました。特に外科手術の様子は順天堂の門人であった関寛斎(セキカンサイ)の手になる「順天堂外科実験」に詳細に記されています。この順天堂は、のちに明治時代の医学界をリードする人材が育成された由緒ある史跡であることから、昭和50年には千葉県指定史跡になっています。昭和60年には佐倉順天堂記念館として公開し、近代医学の黎明期の様子を今に伝えています

担当 菅 智恵子