佐倉駅には大正初期ごろまで赤帽がいた。汽車の発着毎に乗客の手荷物を持って、ホームを駆け走り、乗客へのサービスを行う仕事であった。 駅前の道を隔てて右に藤屋、左に米屋という旅館があった。二軒共十二米ほどの間口の二階建てでこの時代には実に堂々たる建物であった。駅の構内には人力車が、十台程並んでいた。しかし大正期に入りバス・タクシーの出現によりその姿を消してしまった。 この駅が大きく変わったのは、大正十一年の駅前の火災からである。米屋は火災後再建する事無く、藤屋は再建したが、その後「経営破綻」に至った。国鉄駅周辺区画整理事業が行われ「線路の付け替え駅の移転」を経て昭和57年に今の駅前が完成した。
担当 白木宏繁