上座貝塚       
上座貝塚は、印旛沼に注ぐ井野川によって削られた海抜約25mの台地上に位置する縄文時代早期の小貝塚群です。京成電鉄の軌道により南側のA地区(県指定史跡範囲2、235u、壱番原児童公園)と北側のB地区に分断されています。昭和32年(1957)5月に明治大学考古学研究室によりA地区の発掘調査が行われ、昭和61年(1986)、平成9年(1997)、平成10年(1998)には佐倉市教育委員会がB地区を発掘調査しています。 明治大学の調査では、竪穴住居跡2軒と火を炊いた炉穴(ロケツ)7基が発見され、縄文時代早期後半の土器が出土しました。住居跡に炉はなく、屋外の炉穴で調理をしていたようです。楕円形の炉穴は長径約2m・短径約lmの規模で、深いものには煙を出すための煙道を備え炉穴の機能を明らかにしたものがありました。 貝塚は、使われなくなった竪穴住居跡や炉穴などの窪みに捨てられた貝殻が溜まったものです。住居跡と炉穴の関係を知る上で注目される上座貝塚は、発育の良くないマガキやハイガイを主体にオキシジミ・ハマグリ・シオフキなど海水産の貝類で構成されていて、当時はこの周辺にも海が迫っていたことがわかります。
担当 片桐美奈子