岩富町にあるこの城跡は、鹿島川と弥富川の合流点を見下ろす台地にあります。この城跡の中心部は五角形をした平坦地であり、その周囲には土塁が巡っています。この東側と南側には空堀があり、北側と西側には鹿島川に面した崖に細長い平坦地を設けて、防御を強化しています。東側にある堀には出入り口となる土橋が設けられており、その両脇に土塁を設けて守りを固めています。この土塁は、出入り口の両側にて微妙に前後しており、侵入してくる敵を側面から攻撃できるようになっています。この他の城の区画は、中心部の南東に方形の区画がみられる以外は、現状では把握しずらい状況です。 この地域には千葉氏一族である白井氏が、領主として存在しましたが、15世紀後半には原氏がこの地を支配します。江戸時代には徳川家康によって北条氏勝がこの地に配されましたが、慶長18年(1613)の北条氏転封により、岩富城は廃されました。
担当 狩野義昭