名勝・臼井八景  「洲崎晴嵐」

   ふき払い雲も嵐もなかりけり 洲崎によする波も静かに

 洲崎台は現在の八幡台1丁目にあたる場所で、以前は印旛沼を見下ろす景観のよい高台であった。昔臼井城のあった頃、ここは北の要所として砦が築かれていたといわれる。住宅地に造成されるまでは、このあたりの丘陵は一面の広い松林となっていた。また沼辺に耕地が開拓される前は、この洲崎台下(八幡下)まで印旛沼の水が寄せ、そこには長い洲が広がっていた。その砂浜の上では、カモメやサギが翅をひろげて休み、岸辺の浅瀬には魚やエビがたくさん住んでいた。
 晴嵐とは、晴れた日に吹き渡る山風のことであり、前掲の歌にある嵐は靄(モヤ)を意味している。−−洲崎台に山風が吹き、山の霞も湖面の靄も払われてすっかり晴れ渡ってきた、八幡下の洲崎に寄せる波も静かで、すばらしい風景がひろがっている。沼辺には白鷺の姿があり、松林は風に鳴って琴の音のように聞こえてくる。日中の静けさのなかで、明るく晴れ渡った洲崎の眺めはまことに見事なものである−−と歌はその情景を詠んでいる。
 洲崎台(八幡台)の森には、この地の鎮守の神として八幡社がある。第六代城主臼井興胤が歴応元年(1338)に宇佐八幡の霊を移して、領内の土産神としたものである。


 


 担当 菅 勇二