江原台遺跡は、印旛沼を北に望む海抜28mの台地上に広がっています。明治26年(1893)には国立帝国大学人類学教室の八木奘三郎によって紹介されており、市内で最も早く認識された遺跡です。現在の聖隷佐倉市民病院周辺の土地は、昭和50年代に佐倉市教育委員会及び財団法人千葉県文化財センターによって断続して発掘調査が行われました。その結果、竪穴式住居跡など多数の遺構と多量の遺物が検出され、縄文時代中から晩期、弥生時代後期、古墳時代、奈良・平安時代の集落跡が発見されました。縄文時代では、中期の有孔鍔付注口土器(ユウコウツバツキチュウコウドキ)、後期の山形土偶や異形台付(イケイダイツキ)土器、晩期の亀形土製品が出土しています。弥生時代後期の集落では、三基の炉を備えた大型住居跡が検出され、共同施設として利用されてえいたと考えられます。奈良・平安時代では、多数の墨書土器(ボクショドキ)が出土しました。中でも土師器杯(ハジキツキ)表面に人の顔が描かれた人面墨書土器は県内でも類例が少数です。
担当  山岸 建一