国道296号線を臼井から佐倉方面へ向かうと八丁坂(ハッチョウザカ)に至ります。坂をのぼっていくと左手に,「南無妙法蓮華経」の髭(ヒゲ)題目を棹石(サオイシ)に大きく深く刻み,台石に「法界」「講中」と刻んだ供養塔があります。これは寛政8年(1796)9月に法華宗の題目講中により造立されたものです。成田道の道筋に面したここは端佐倉城の西端にあたり八町森と呼ばれ、佐倉藩が罪人の処刑を行った刑場跡です。八丁坂の途中に木戸を設け,その先に見せしめの場である刑場を置き、さらにその先には「江戸口」と称する方形に巡らせた枡形土手を築いてその中に成田道を通し、その先、道の両側に江原町の鉄砲組長長屋を配して、そのはずれに木戸を設け、角来坂を過ぎて鹿島橋をわたりるようになっていました。また、この地で佐倉藩の医学史の中で画期的なことが行われました。それは、天保14年(1843)に佐倉藩医で蘭方医であった鏑木仙庵によって、刑死者の腑分け(解剖)が行われたことです。このような解剖が行われたことは佐倉藩では始めてのこであり、全国的に見ても早い時期のものと考えいられます。
担当  山岸 建一