↑道誉上人の墓        
  ←階段を上ると正面に道誉上人の墓がある

 臼井田(ウスイダ)の浄土(ジョウド)宗龍沢(リュウガサワ)山長源(チョウゲン)寺墓地に道誉上人の五輪塔があります。 道誉貞把は、和泉国日根郡鳥取庄(大阪府)で永正12年(1515)に生まれ、13歳で出家して享禄(キョウロク)4年(1531)には関東へ下り、武蔵国の三縁山増上寺で修行しました。その後、故郷での説法に失敗した道誉貞把は、再び関東に下り、その途中、かねてから霊験あらたかであることを知っていた成田山不動尊で21日間の断食をしました。 天文(テンモン)20年(1551)になると下総国生実(オユミ)(千葉市中央区生実町)城主原胤清(ハラタネキヨ)(?〜1556)の招きにより龍沢山玄忠(ゲンチュウ)院大厳(ダイガン)寺(千葉市中央区大厳寺町)の開山となり、さらに弘治(コウジ)元年(1555)に増上寺9世の貫主(カンズ)となりました。元亀(ゲンキ)元年(1570)12月には臼井城下に龍沢山玄忠院新大厳寺(長源寺)を開山し、天正(テンショウ)2年(1574)12月7日に60歳で死去しました。なお、五輪塔は戦国時代末期の造立ですが、無縫塔は江戸時代の天保(テンポウ)3年(1832)に造立されたものです。 この道誉上人墓は、戦国時代末期の臼井地方の寺院史を考える上で貴重です。墓の傍らに大きな杉があり、長源寺山の大杉といわれていました。
担当 松田和子